萩ヒストリア
萩城跡の石垣と松、鍵曲の土塀の先に日本海へ漕ぎ出す長州ファイブの船を描いたイラスト

山口県萩市 歴史情報ポータル

日本を動かした城下町、
萩という時間。

人口五万に満たないこの小さな城下町から、明治維新の指導者たちと、密航してまで西洋に学んだ若者たちと、日本の重工業を築いた実業家たちが生まれました。 鉄道が町の中心を避けて敷かれたことで、江戸期の地図がそのまま歩ける町並みが今も残り、 藩校・私塾・寺子屋がひしめいた学びの土壌と、日本海と阿武の山々が育む豊かな食があります。 観光ガイドには載りきらない、萩の「なぜ」を集めました。

維新の志士たちを読む 町並みの謎を読む

萩を読み解く、四つの鍵

なぜ、この城下町だったのか。

明治維新の中心人物の多くを輩出した藩は長州だけではありません。それでも萩がこれほど濃密な歴史を残しているのには理由があります。 一つは、藩校明倫館と松下村塾をはじめとする学びの層の厚さ。一つは、藩の存亡をかけて海外に学んだ若者たちの気概。 一つは、明治以降に日本の産業を築いた郷土出身の実業家たち。そしてもう一つは、近代化の波の中で奇跡的に残った城下町そのもの。 このサイトでは、この四つを中心に、それぞれのページでたどっていきます。

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十一の部屋

それぞれ独立して読めます。興味のあるところから、どうぞ。

写真で見る

萩の風景、いくつか

言葉だけでは伝わらない部分を、実際の風景で。各写真は関連するページへのリンクにもなっています。

概観

萩、駆け足の年表

詳しい物語は各ページで。ここでは全体の流れだけを。

1604

萩城 築城、城下町の町割りが定まる

毛利輝元が指月山麓に築城。堀内・城下町の骨格がこのとき形づくられ、現在の町並みの原型となる。

1718

藩校・明倫館 創建

全国におよそ300あった藩校のうち12番目という早さで開校。以後130年、萩の学びの中心となる。

1857

松下村塾、8畳の部屋で本格始動

吉田松陰が主宰。わずか2年半ほどの間に、後の総理大臣や陸軍・工学の父となる若者たちを送り出す。

1863

長州ファイブ、密航渡英

伊藤博文・井上馨ら5人が鎖国の禁を破りロンドンへ。帰国後、鉄道・造幣・工学の礎を築く。

1868〜

明治維新、そして郷里を出た実業家たち

藤田伝三郎が大阪で藤田財閥を興し、のち藤田観光へ。甥の久原房之助は日立鉱山を興し、義弟の鮎川義介がそれを日産コンツェルンへと育てる。

1925

鉄道、城下町の外縁を通る

山陰本線の駅が旧市街の外側に置かれたことで、結果として堀内・平安古の町並みが開発を免れ今日に至る。

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