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05 — 今も歩ける江戸時代

鉄道が、
この町の中心を通らなかった。

萩の旧城下町は、江戸期の絵図をそのまま持って歩けるほど、町割りが変わっていません。 理由としてよく語られるのが「鉄道の敷設に住民が反対した」という話ですが、 萩市自身の記録や近年の研究は、もう少し実務的な事情を伝えています。

松の木と土塀が続く旧城下町の通り
今も残る、江戸期そのままの町割り

俗説と実際

「鉄道忌避伝説」の真相

全国各地の城下町に伝わる「昔の人が鉄道を嫌って町から遠ざけた」という話は、多くの場合、後年になって作られた俗説であることが研究で指摘されています。萩も同様です。

よく語られる話

住民が鉄道を嫌って反対した

蒸気機関車の煙や振動、あるいは風水・景観への影響を理由に、町の有力者たちが鉄道を城下町の外へ追いやった、という語られ方。

実際の事情

用地買収の難しさという実務上の事情

1925年(大正14年)に山陰本線が萩へ延伸した当時、旧城下町はすでに市街地として成熟しており、駅や線路用地を新たに確保することが困難だった。結果として、駅は旧市街の外縁部に置かれた。

結果として萩駅・東萩駅は旧城下町の外側に設置され、市街地そのものを鉄道が貫通することはありませんでした。 意図的な保存政策ではなく、いわば「開発を免れた」ことが、皮肉にも江戸期の町割りをそのまま今日まで残す最大の要因になったのです。

城下町の骨格

今も使える、江戸時代の地図

萩城下町は1604年、毛利輝元の築城とともに指月山麓に町割りが定められました。 三方を松本川・橋本川に、一方を日本海に囲まれた三角州の地形がそのまま城下の輪郭となり、 武家地・町人地・寺社地がそれぞれのエリアに整然と配置されています。 鉤の手に折れ曲がった「鍵曲(かいまがり)」と呼ばれる街路は、見通しを悪くして敵の侵入を防ぐための防御的な都市設計で、平安古地区に今も残っています。 土塀と夏みかんの木、白壁の続く街路は、萩を代表する景観として知られています。

土塀が続く堀内地区の通りと、遠くに見える山並み
土塀の続く通り堀内地区
白壁となまこ壁の土蔵造りの町家
土蔵造りの町家(イメージ)旧城下町

鍵曲は見通しを悪くするだけでなく、馬に乗ったまま全速力で駆け抜けることを難しくする効果もあったといわれ、 今日も平安古地区を歩くと、直角に近い角を何度も曲がりながら進むことになります。堀内地区には、 上級武士の屋敷門として旧益田家物見矢倉や旧周布家長屋門が現存し、当時の武家屋敷の規模や格式をしのばせます。 いずれも江戸期の建造当時の位置から動かされていない、という点も含めて、萩の町並みの価値とされています。

400年の年表

町並みが残った、偶然の積み重ね

意図的な保存というより、いくつもの歴史的な巡り合わせが重なった結果、今日の町並みが残っています。

1604

町割りの開始

毛利輝元、萩城とともに武家地・町人地・寺社地を区画。三角州の地形がそのまま城下の輪郭に。

1608

萩城、完成

城下町の骨格がほぼ整う。以後260年余り、長州藩の中心であり続ける。

1874

廃城令

明治政府の方針により天守など萩城の建造物は解体。ただし町割りそのものは手つかずのまま残る。

1925

山陰本線、延伸

用地取得の難しさから、鉄道は旧城下町を迂回。市街地の骨格が結果的に守られる。

1976年ごろ〜

重伝建地区の選定

堀内・平安古地区が国の重要伝統的建造物群保存地区に選定。のち浜崎・佐々並市地区も加わり、計4地区に。

重要伝統的建造物群保存地区

萩に残る、4つの町並み

萩市内には、国が選定した重要伝統的建造物群保存地区(重伝建地区)が4つあります。京都・金沢に並ぶ数です。

堀内地区の白壁土蔵と石垣の通り HORIUCHI

堀内地区

旧萩城三の丸にあたる、上級武士の屋敷町。益田家物見矢倉や周布家長屋門など武家建築が残り、長く続く白壁の土塀と石垣が特徴です。

平安古地区の土塀と笠山方面の山並み HIYAKO

平安古地区

外堀の南側に広がる武家地。防御のために折れ曲がった街路「鍵曲」が今も残ります。次のページで触れる夏みかん栽培発祥の地でもあります。

浜崎地区に残る商家町の町並み HAMASAKI

浜崎地区

城下町の外港として栄えた商人の町。江戸期から昭和初期の町家が数多く現存し、電線の地中化など町並み保存の取り組みが進んでいます。

佐々並市地区の宿場町の町並み SASANAMI-ICHI

佐々並市地区

萩と山口を結ぶ街道「萩往還」の宿場町。茅葺き民家と石州赤瓦の町並みが、周囲の棚田の景観と一体となって残っています。

町の外にも、残るもの

城下町の外側で、時代とつながる場所

4つの重伝建地区だけでなく、城下町を出入りする街道や、幕末の技術革新を伝える遺構も、萩の町並みの一部です。

萩往還の石畳の道
萩往還萩と山口を結ぶ街道
萩反射炉の石積みと煉瓦の煙突
萩反射炉幕末の産業遺産

山と海に抱かれた町

萩を育んできた、山と海の恵み

萩は北に日本海、南から東にかけて中国山地の山々を背負う、山と海に挟まれた土地です。江戸時代から続く城下町の暮らしは、 この恵まれた自然環境に支えられてきました。

放牧された天然記念物・見島牛

山の恵み

天然記念物「見島牛」とホルスタインを交配した希少なブランド牛「見蘭牛(けんらんぎゅう)」は、コクとほのかな甘みのある肉質で知られています。 山あいのむつみ高原で育てられる「むつみ豚」も、甘みのある脂身が持ち味です。ほかにも阿武川で獲れる鮎や、高原で育つ野菜・果樹など、 山の恵みが萩の食卓を彩ります。

萩の甘鯛の刺身盛り合わせ

海の恵み

日本海に面した萩は、甘鯛(あまだい)や瀬つきあじといったブランド魚で知られる漁業の町でもあります。中でもウニは県内屈指の漁獲量を誇り、 7〜8月には旬を迎えます。荒波にもまれた日本海の地魚は、萩の食文化に欠かせない存在です。

快水浴場百選

志士たちも見たかもしれない、菊ヶ浜の夕日

城下町のすぐ北、萩城跡(指月公園)の東に広がる菊ヶ浜は、環境省が選ぶ「快水浴場百選」に山口県から選ばれた、白砂青松の海岸です。 水質評価では「清らかな水辺」「安らげる水辺」の項目で最高の五つ星を、「美しい水辺」でも四つ星を獲得しています。

北長門海岸国定公園に含まれるこの浜辺は、古くは「阿武の松原」として和歌にも詠まれてきた由緒ある景勝地で、指月山や笠山を望む眺めは今も変わりません。 夕暮れ時には「日本の夕陽百選」にも選ばれた美しい夕景が広がります。松下村塾で学び、萩城下に暮らした志士たちも、 すぐそばのこの渚を歩き、同じ夕日を目にしていたかもしれません。

菊ヶ浜に沈む夕日と赤く染まった空
菊ヶ浜の夕景日本の夕陽百選
志士たちが実際に菊ヶ浜の夕日を眺めたという記録が残っているわけではありませんが、彼らが暮らした城下町のすぐそばに、 今と変わらぬ美しい渚が広がっていたことは確かです。

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土塀の内側にあった学びの場

この武家地・町人地の中に、藩校と数多の私塾がひしめいていました。萩の教育環境へ。

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