トップ / 自然と食

07 — 海と山が育てたもの

日本海と阿武の山々が、
萩の食卓を支えてきた。

萩は北に日本海、南東に阿武の山並みを抱き、松本川・橋本川が城下を貫いて海へ注ぐ、水と緑に恵まれた土地です。 この自然環境は、歴史の舞台裏で人々の暮らしと経済を静かに支え続けてきました。

夏みかんの実と花
夏みかん —— 萩を象徴する果実

地形をたどる

砂丘と溶岩が、城下町の土台になった

NHKの人気番組「ブラタモリ」でも取り上げられた、萩の地形と食を支える地質の物語です。

萩の城下町は、松本川・橋本川が運んだ土砂が積もる三角州の上に築かれています。本来、三角州は地盤が軟弱で、大きな町を築くには不向きな土地です。 萩ではその弱点を、日本海からの強い季節風が吹き寄せてつくった「砂丘」が補いました。周囲より地盤の締まった砂丘の上に、武家屋敷や藩の主要な施設が置かれたのです。

建物の土台や石垣を支えたのが、萩沖の指月山・笠山を含む「阿武火山群」から切り出された安山岩でした。 阿武火山群はなだらかな溶岩を流し出す火山群で、切り出した石は平たく割れやすく、加工がしやすかったといいます。 堀内地区の土塀や石垣に使われている石の多くは、この火山活動の置き土産です。

砂丘が守った町並み: 明治になり県庁や学校などの公共施設が必要になった際、多くの町では武家屋敷地がその用地に転用されました。 しかし萩では、砂丘の外側に広がる低湿地を新施設の用地にあてることができたため、砂丘上の武家屋敷地はほぼそのまま残されました。 「古き良き町並み」のページで触れた、江戸期の地割がそのまま残る理由の一つは、この地形にもあったのです。

火山がもたらしたのは石材だけではありません。萩沖の海底には阿武火山群による起伏に富んだ岩礁が広がり、雲丹・鮑・さざえなどの好漁場になっています。

萩雲丹さざえ
阿武火山群にまつわる萩ジオパークの奇岩
萩ジオパークの地形(イメージ)阿武火山群
STEP 1

三角州(軟弱地盤)

松本川・橋本川が運んだ土砂が堆積。そのままでは大きな町を築くには不向きな軟弱地盤だった。

STEP 2

砂丘(居住の土台)

日本海からの季節風が土砂を吹き寄せ、周囲より締まった砂丘を形成。この上に武家屋敷や藩の施設が置かれた。

STEP 3

阿武火山群の安山岩(建材)

指月山・笠山などを含む火山群が生んだ、平たく割れやすい安山岩。石垣や土塀の石材として使われた。

再訪

夏みかん —— 武士の暮らしを支えた果実

「古き良き町並み」のページで触れたとおり、萩を象徴する夏みかんは、単なる名産品ではなく、明治維新で禄を失った士族たちの生活を救うために、1876年から武家屋敷の庭に植えられ始めたものでした。 手間がかからず育てやすいという理由で選ばれた夏みかんは、1889年には「長州本場萩夏蜜柑」としてブランド化され、 最盛期の萩町では生産額が町の年間予算の8倍に達したと伝えられています。土塀越しに実る黄金色の実は、今も萩の景観そのものです。

海山の恵み

萩の食卓に並ぶもの

日本海の荒波にもまれた魚介と、阿武の山々で育つ肉牛・鶏。自然条件の違いが、多様な食材を生み出しています。

剣先イカの活き造りSeafood

剣先イカ

萩沖でとれる高級イカ。透き通るような身の甘さから、刺身や一夜干しで珍重される萩を代表する海の幸。

金太郎(ヒメジ)の刺身Seafood

金太郎(ヒメジ)

底引き網でとれる萩ならではの魚。淡白な白身で、唐揚げや練り物によく使われる。

萩の焼き抜き蒲鉾Craft

萩の蒲鉾

新鮮な魚を焼き抜き製法で仕上げた練り物。日本海の水揚げを活かした加工食文化として発展した。

見蘭牛の盛り合わせMeat

見蘭牛

阿武山系の自然の中で育てられるブランド牛。きめ細やかな肉質で、ステーキなどで供される。

長州どりのステーキ料理Meat

長州どり

山口県で育てられるブランド地鶏。のびのびとした環境で飼育され、コクのある味わいが特徴。

夏みかんの木、花と実Fruit

夏みかん

士族授産のために栽培が始まった、萩を象徴する柑橘。ジュースやゼリー、菓子にも広く使われる。

どんどんの肉うどん、刻みネギをのせたところNoodle

どんどん

1972年に萩で創業した老舗うどん店発祥のソウルフード。とろりとしつつもモチッとした食感の麺と、丁寧にひいた出汁が特徴で、子どもから大人まで親しまれている山口県民の定番の味。

萩の海岸。透き通る海と緑の島
萩の海(イメージ)日本海沿岸

水と米の恵み

地酒 —— 萩・山口の酒どころ

阿武山系の伏流水と、豊かな米どころが育んだ日本酒文化。萩を含む山口県の日本酒は地理的表示(GI)にも認定されています。

福娘東洋美人長門峡宝船八千代阿武の鶴

工芸にも宿る自然

萩焼 —— 土と水が生む「七化け」

萩焼は、豊臣秀吉の朝鮮出兵の後、毛利氏によって萩に招かれた朝鮮人陶工によって始まったとされる焼き物です。 1604年の萩城築城とほぼ同じ頃、御用窯として藩の庇護のもとで発展したと伝えられ、城下町そのものと歴史を共にしてきました。 萩周辺で採れる土と釉薬の性質から、使い込むほどに茶や酒が染み込み、表情が変化していく「萩の七化け」と呼ばれる特徴を持ちます。 土地の自然素材がそのまま工芸文化として結晶した例といえます。

淡い枇杷色の釉薬と白い斑が景色をなす萩焼の茶碗
萩焼の茶碗(イメージ)萩焼

その技を極めた兄弟

人間国宝を2人生んだ、一つの窯

「萩出身の著名人」のページでも触れた三輪家の兄弟は、この萩焼の伝統を体現する存在です。

三輪休和の肖像写真

三輪休和(十代休雪)

1895–1981

萩焼/人間国宝(1970年認定)

藩政期から続く萩焼窯元・三輪家の十代。土と釉薬の性質を追求し、萩焼らしい柔らかな休雪白の作風を確立した。重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。

三輪壽雪の肖像写真

三輪壽雪(十一代休雪)

1910–2012

萩焼/人間国宝(1983年認定)

休和の弟で、兄のあとを継いで十一代を襲名。力強い造形と独自の釉調「鬼萩」を生み出した。100歳を超えてなお作陶を続け、兄弟そろって人間国宝となった稀有な例として知られる。

ゆかりの地を歩く

自然の恵みを、その場所で

阿武火山群の実物や、そこから生まれた産業の跡は、今も実際に訪ねることができます。

笠山展望台から望む萩市街と日本海
笠山阿武火山群の一つ
大板山たたら製鉄遺跡の発掘現場
大板山たたら製鉄遺跡
道の駅萩しーまーとの店内
萩しーまーと海の幸市場

次を読む

知った上で、実際に歩く

人物、産業、町並み、教育、自然と食。ここまでの物語を踏まえて、最後は実際に巡る見どころ集へ。

観光名所を見る →
広告 広告スペース(AdSense設置予定)